映画撮影の死亡事故とリアリティーの追求

映画を観ていて、どんなにスリリングな場面でも「どうせCGだろう」と思った途端、少し気持ちが冷めてしまうことがあります。反対に、派手なアクションでなくても、俳優が本当に体を張っていると感じるだけで、画面から目が離せなくなったりします。
だからといって、危険な撮影を手放しで褒めたいわけではありません。「役者魂」は素晴らしいことだけど、この撮影のせいでその俳優は亡くなりました、なんて知ったら、映画の内容がすべて吹き飛んでしまいます。
本物の映像が観たい。でも、誰かが怪我をしたり命を落としたりしてほしくはない。この、少し厄介な気持ちについて書いてみたいと思います。
撮影現場のバイトで起きたこと
大学生のころ、テレビCMや映画の撮影で、何度かアルバイトをしたことがあります。仕事は本当に雑用係。カメラが回っている間、通行人や車に少し待ってもらったり、弁当を配ったり、荷物を運んだりの裏方です。
ある日、建物の2階での撮影中、突然「ガシャーン!」という大きな音がしました。窓の外に組まれた足場に設置されていた照明機材が落下し、スタッフが怪我をしたのです。
何が起きたのかわからず、私は周囲を見渡すことしかできませんでした。現場は騒然となり、怪我をした人は救急車で運ばれていきました。
その人がどの程度の怪我を負い、治療や補償がどうなったのか、私は知りません。今になって、ときどき気になります。
完成した映像を観た人は、そんな事故があったことなど想像もしなかったでしょう。
この記憶から、映画の撮影中に起きた死亡事故をいくつか思い出しました。
スクリーンの裏側で失われた命──5つの事故
1.『トワイライトゾーン/超次元の体験』(1983年)
ヘリコプターの墜落で、俳優と2人の子供が死亡
1982年7月23日、ジョン・ランディス監督が担当するエピソードの撮影中に、映画史に残る重大事故が発生しました。
ベトナム戦争を舞台に、主人公が2人の子供を連れて米軍のヘリコプターから逃げる場面でした。低空飛行するヘリコプターの近くで特殊効果用の爆薬が炸裂。その影響でヘリコプターが制御不能となり、俳優のヴィック・モローと、7歳のマイカ・ディン・リー、6歳のレニー・シンイー・チェンの3人が巻き込まれ、死亡しました。
事故後、ランディス監督らは過失致死罪で起訴されましたが、刑事裁判では無罪となりました。しかし、この事故は、撮影現場における安全管理、子役の労働条件、特殊効果と航空機を組み合わせる撮影の危険性など、多くの問題を浮き彫りにしました。
完成した映画を観る私たちは、スクリーンの中で起きていることをフィクションとして受け止めます。しかし、この作品では、そのフィクションを作るために3人の命が失われてしまったのです。
2.『トップガン』(1986年)
空撮パイロットが海に墜落し、帰らぬ人に
戦闘機の迫力ある飛行シーンで知られる『トップガン』。この作品でも、撮影中に死亡事故が発生しています。
1985年9月16日、航空撮影に参加していたパイロットのアート・ショールが、カリフォルニア沖で飛行中に墜落しました。ショールは曲技飛行の第一人者であり、航空撮影の専門家でもありました。
事故機とショールの遺体は発見されず、墜落の詳しい原因も確定していません。映画のエンドクレジットには、彼を追悼する言葉が添えられています。
『トップガン』の魅力のひとつは、実際の航空機を使用した飛行シーンの迫力です。CGが現在ほど発達していなかった時代、こうした映像を撮影するためには、実際に航空機を飛ばす必要がありました。しかし、航空撮影の熟練者であっても、危険を完全に取り除くことはできなかったのです。
3.『座頭市』(1989年)
撮影用の刀ではなく、真剣が使用された死亡事故
勝新太郎が監督・主演を務めた『座頭市』でも、悲惨な事故が起きています。
1988年12月26日、広島県福山市の撮影現場で、勝新太郎の長男である奥村雄大(芸名・鴈龍)が参加した殺陣の撮影中、使用していた刀が相手役の加藤幸雄の首に刺さりました。使用されていたのは、撮影用の模造刀ではなく真剣でした。
加藤は病院に搬送されましたが、翌1989年1月11日に死亡しました。なぜ撮影現場に真剣があり、なぜそれが殺陣に使用されてしまったのでしょうか。
この事故は、撮影用の武器の管理体制と、現場の安全確認の重要性を強く印象づける事件となりました。日本俳優連合の記録によれば、事故後、殺陣にかかわる俳優たちの安全や労働環境について話し合う動きが進み、後のアクション部会の活動につながっていきます。
インディーズ作品ながら異例の大ヒットとなった、2023年「侍タイムスリッパー」では、真剣を使って決闘シーンの撮影をする緊迫のクライマックスがみどころでした。もし映画の設定がすべて事実だとしたら、娯楽作品でなくなっていたことでしょう。
4.『クロウ/飛翔伝説』(1994年)
小道具の銃から発射された弾頭が主演俳優を直撃
1993年3月31日、主演のブランドン・リーが銃撃シーンの撮影中に死亡しました。28歳でした。ブランドンは、ブルース・リーの息子としても知られています。
撮影で使用された銃には、準備作業での弾頭が銃身内に残されていました。その状態で空包を発射したため、残っていた弾頭が飛び出し、ブランドンの腹部に命中したのです。
事故後、映画は残された映像や代役、デジタル技術などを利用して完成しました。
CGは、俳優を危険な撮影から守るためにも利用できます。一方、この作品では、事故によって失われた俳優の姿を補うために使われることになってしまいました。映像技術と映画制作の安全性について、さまざまなことを考えさせられる事例です。
5.『Rust』(2024年)
21世紀になっても繰り返された、撮影用銃器の死亡事故
2021年10月21日、アレック・ボールドウィン主演の西部劇『Rust』の撮影現場で、撮影監督ハリナ・ハッチンズが死亡しました。ボールドウィンが手にしていた銃から実弾が発射され、ハッチンズに命中したのです。監督のジョエル・ソウザも負傷しました。
この事故が衝撃的だったのは、『クロウ/飛翔伝説』の事故から約28年が経過していたことです。撮影用銃器の危険性は以前から知られ、安全対策の必要性も繰り返し指摘されてきました。それにもかかわらず、銃器の管理をめぐる問題から死亡事故が発生してしまいました。
銃器を管理していた担当者は、その後、過失致死罪で有罪となりました。映画制作の技術がどれほど進歩しても、現場での基本的な安全確認が機能しなければ、事故は防げないことを示しています。
死亡事故として語られた『ミッション』の滝
ここで、死亡事故があったという噂を耳にするものの、実際には亡くなった人はいなかった撮影についても触れておきます。
ロバート・デ・ニーロが出演した『ミッション』(1986年)には、人が滝へ落ちていく衝撃的な場面があります。
2026年公開の『ミッション 4Kデジタルリマスター版』公式サイト
には、その撮影の舞台裏が紹介されています。
最初のカットでは、滝の手前に張ったケーブルでスタントマンを救助。続く2つのカットでは、落差が比較的小さい滝を選び、スタントマンが実際に滝壺へ落下したそうです。3人とも岩にぶつかって上半身に傷を負う、危険な撮影でした。
初公開時、この場面でスタントマンが死亡したことが語られたのを覚えています。実際には誰も亡くなっていません。死亡事故という噂はデマだったのです。
それでも、命に関わりかねない撮影だったことに変わりはありません。スクリーンに映る迫力の裏側を知ると、映画の見え方も少し変わってきます。
事故のあと、撮影現場は変わったのか
映画やテレビの制作現場には、銃器、火薬、航空機、車両、高所作業、水中撮影などに関する安全指針があります。
国や地域の法律、労働協約、製作会社の規則も関わります。ただ、すべての撮影に共通する単一の「映画安全法」があるわけではありません。
事故をきっかけに安全管理の重要性が強く意識され、専門スタッフによる確認や事前の打ち合わせが重視されるようになりました。それでも事故は起きます。スケジュールが押しているとき、監督がもう一度撮りたいと言ったとき、誰が「危険だからやめよう」と言えるのでしょう。
日本でも、契約や労働環境、安全管理を見直す取り組みが進んでいます。
変わってきたのは、機材の扱いだけではありません。監督やプロデューサーによる暴言、パワーハラスメント、セクシュアルハラスメントについても、以前より声を上げ、問題を追及できるようになってきました。
映画づくりは、監督が描くビジョンを、出演者やスタッフがそれぞれの専門分野で力を尽くし、実現させていく共同作業です。その根底にあるのは、お互いの仕事に対する信頼と敬意のはずです。
しかし、監督の要求が行き過ぎたり、スケジュールや予算の制約が優先されたりすることで、危険が予測されながらも、十分な安全対策が取られないまま撮影が進められることがあるかもしれません。
そんなとき、立場の違いや現場の空気に押し流されることなく、誰もが「それは危険だ」と声を上げられること。そして、その声がきちんと受け止められること。
映画への情熱が、誰かの命や尊厳を犠牲にする理由になってはならない。私は、そんな当たり前のことが守られる撮影現場であってほしいと願っています。
スタントマンは、なぜ長く「縁の下」だったのだろう
危険な動きを安全に見せるのが、スタントにかかわる人たちの仕事です。落ち方ひとつ、車のぶつけ方ひとつにも技術がある。危険を無視する人ではなく、危険を読み、制御しようとするプロフェッショナルです。
それなのに、観客の目には俳優本人の活躍として映ることが多く、名前を知らないまま映画館を出ることが普通です。
アカデミー賞では、スタント・デザイン賞が新設され、2028年の第100回授賞式から授賞が始まる予定です。
喜ばしいことですが、「ようやくなのか」とも思います。映画界はこれほど長くスタントの恩恵にあずかってきたのに、なぜ今まで賞がなかったのでしょう。
スタントは大勢の共同作業で、何をどう審査するか難しかったのかもしれません。それでも、彼らをずっと縁の下の力持ちにしておきたかったのだろうか、と少しもやもやします。
ジャッキー・チェンの怪我まで、私たちは観ていた
1980年代の香港アクション映画を思い出します。ジャッキー・チェンは『プロジェクトA』(1983年)の時計台からの落下や、『ポリス・ストーリー/香港国際警察』(1985年)の電飾ポールを滑り降りる場面など、驚くようなアクションを自ら演じました。『サンダーアーム/龍兄虎弟』(1986年)の撮影では頭蓋骨を骨折する重傷も負っています。
もちろん、すべてのスタントを一人で行っていたわけではありません。熟練したチームとともにアクションを組み立てていたのです。それでも、本人が挑む危険な場面は大きな話題になりました。
エンドクレジットに流れるNGシーンも印象的でした。転倒、失敗、怪我、介抱される姿。観客は笑ったり驚いたりしながら、映画の裏側まで楽しんでいました。私もあの映像を観た一人です。
今思うと、怪我をするほど頑張ったことまでが、作品の魅力として受け止められていたのでしょう。香港映画のスピード感や身体を使った発想は今も見事だと思います。でも、あそこまで体を張らなくても、あの面白さを生み出す方法はなかったのだろうか。そんな気持ちも残ります。
60歳を超えても挑み続けるトム・クルーズ
一方、現代の映画で驚かされるのはトム・クルーズです。『ミッション:インポッシブル』シリーズでは、飛行機の外側にしがみつき、崖からオートバイで飛び出す。危険なアクションの多くに自ら挑んでいます。
60歳を超えてなお、なぜそこまで自分で演じるのか。私が圧倒されるのは、危険な場面を本人が演じているというスリル以上に、自分の思い描く映像を実現しようとする、映画に対する尋常ではない情熱です。驚きを通り越して、少し呆れてしまうほどです。
『トップガン マーヴェリック』(2022年)でも、俳優たちは実際の戦闘機に搭乗し、強い重力加速度の中で演技しました。操縦したのは軍のパイロットですが、顔にかかる力や身体の揺れは本物です。
もちろん、長い訓練を積んでも危険が消えるわけではありません。それでも、スクリーンの数分間のために、どれほどの準備と労力を費やしたのか。そんなことを想像するだけで圧倒されます。
私たちは、何に興奮しているのだろう
ここで、ちょっと考えてしまいます。
私たちは、危険な映像そのものに興奮しているのでしょうか。それとも、本当に危険な撮影だったと知ることで、さらに興奮しているのでしょうか。
答えは「どっちもYES」だと思います。
例えば、トム・クルーズが飛行機の外側にしがみつく場面。もし、まったく同じ映像がCGで作られていたら、同じように興奮するでしょうか。
正直なところ、本人が本当にやったと知れば、やっぱり驚きも興奮も大きくなります。
ジャッキー・チェンの映画でも、エンドクレジットのNGシーンを観て、あのアクションのすごさを改めて実感したものでした。
だけど。「本当にやったからすごい」と「危険なことをやったからすごい」は、似ているようで少し違うものだと思っています。
私だって、これからも信じられないようなアクションを観たい。でも、俳優やスタントマンが怪我をするところまで観たいわけではありません。
CGだから冷める、というだけでもない
冒頭で「どうせCGだろう」と思うと気持ちが冷める、と書きました。でも、CGそのものを否定しているワケではないのです。『ジュラシック・パーク』(1993年)で恐竜が現れたときの驚きは、今も忘れられません。CGと実物の造形物を組み合わせ、存在しない生き物を本当にそこにいるように見せてくれました。
実写には、重さや偶然の動きが生む魅力があります。CGには、実写では撮れないものを見せる力があります。俳優本人の身体が必要な場面もあれば、スタントマンだからこそ実現できる動きもあるでしょう。
どちらか一方が正解なのではなく、観客にどう見せるか。そこに映画づくりの面白さがあるのだと思います。
スクリーンの外まで含めて、一本の映画
大学生のころに聞いた、照明機材が落ちる音。あのとき救急車で運ばれたスタッフは、その後どうなったのでしょう。何十年たっても、答えはわかりません。
映画を作る人には、これからも今まで見たことのない映像に挑戦してほしい。そして観客である私も、ありえないようなハラハラをスクリーンから味わいたい。映画を観始めた少年のころから、その期待は変わっていません。
同時に、出演者やスタッフが犠牲になることを、情熱や才能の証しとして片づけたくもありません。危険をどう見極め、どこまで実際に撮り、どこでスタントやCGの力を借りるのか。
映画人として、すごい映像を撮りたい。観客として、すごい映像を観たい。
その願いと安全を、一本の映画の中でどう巧みに料理するか。そこがクリエイターの腕の見せ所なのだと、私は信じています。