2001年宇宙の旅
2001: A Space Odyssey
日本初公開 1968年
リバイバル公開 1978年10月28日
私にとって「偉大な映画」として特別な位置を占める3本のうちの1本が、「神の領域」と言ってもいいこの「2001年宇宙の旅」です。
この映画が公開されたのが1968年という事実には驚かされます。
というのも、テクノロジーの描写に関して、これほど的を得た未来を予見できるものでしょうか。当時の他のSF映画では、コンピュータと言えばパンチカードを使い、それを読み取るシーンが描かれていましたよね? でも、この作品では、すでに複数のモニターが並び、画面に情報が表示される描写が登場しています。まさに現代のコントロール表示方法です。
さらに、宇宙ステーション内にはAI(HAL9000)の「目」となる赤いライトが設置されていて、乗組員と自然な会話をしています。そして、そのHALがみずからのミスを認めずに、乗組員の生命を絶とうと企てるのを止めようとして、機能を停止させるため、スロットに刺さったボードを解除していくという方法がとられます。今の私たちは日常的にパソコンと向き合っているから、メモリやストレージの基盤をはずすという行為は、理解できますが、1968年当時はそんなモノは存在していなかったんです!
HALの機能停止を、初期に学習した内容を「声」で伝えるという表現もすばらしいです。
高校時代の友人や先輩には、この時のHALをまねて、疲れて機能停止になりそうな時「デーイジー、デーイジー」と、途切れがちに歌い出すのが流行りました(いかにも進学校の人がやりそうなネタの拾い方 w)
映画が正確に未来を予見していたというよりも、むしろ、この映画がエンジニアたちにインスピレーションを与え、現代のテクノロジーを生み出すきっかけになったのかもしれませんね。
私たちの世代のクリエイティブな仕事をする人にとって、「2001年宇宙の旅」や「ブレードランナー」を観ていることは当然のことであり、未来についての共通認識を形成する必修科目のようなものでした。今の若い世代にとっては、どんな作品がその役割を果たしているのでしょうか?
当時の撮影技術や表現については、今でもSNSで情報が流れてきます。ちなみに、この作品について語る資格として最も尊敬されるのは、初公開時にテアトル東京のシネラマで「2001年宇宙の旅」を観た人だそうです。確かにそんな諸先輩方には頭が上がりませんよね。リバイバル上映の際も、テアトル東京とセットになったアイテムや鑑賞体験が特別視されるのは納得です。
ちなみに、私は初見が日比谷スカラ座でした……ちょっと残念!
*アメリカ国立フィルム登録簿 登録作品